格差と分断のマジック 未だに嫉妬と憎しみを正当化するイデオロギーが渦巻いている

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 コロナ禍後の世界はどうなるのかは、2022年の主要テーマの一つです。この問題への取り組みでは常に社会を変革したいリベラル派が熱心なのに対して、保守派は、たとえば岸田政権が成長と分配の循環型の新資本主義を打ち出し、多くの人は頭をかしげています。

 その背景にあるのは、世界で格差が拡大し、分断が進んでいるという認識です。それまでは保守派は、「成長なくして日本の再生なし」といっていました。リーマンショックやギリシャの財政危機が発生した頃、成長と財政規律というアクセルとブレーキの踏み方が経済政策の争点になりました。

 リベラル派は、それでも成長でも財政規律でもなく、格差解消が最優先といい続け、フランスのオランド左派政権は、金持ちに高率税制を導入し、高額所得者は英国、ベルギー、スイスなどに逃げていきました。バラマキ政治は国の財政を悪化させ、国は弱体化し、失業者も減りませんでした。

 アメリカはトランプ政権時代の政権批判にリベラルメディアは「格差と分断が止まらない」と批判しました。バイデン政権は例えば巨大IT企業を敵視する平等主義者の32歳のリナ・カーン女史を米連邦取引委員会のトップに据えるなど社会主義に近い考えを持つ若い人々を政権中枢に登用しています。

 民主党の中で影響力を強める社会主義勢力が後押しする格差や不平等、差別是正の使命感に燃える人物が前面に立っているわけですが、彼らのほとんどは超内向きで外交での失敗が予想されています。事実、中国、北朝鮮、イラン、ロシアとは原則外交で交渉できるレベルにありません。

 一方、自由主義こそアメリカの伝統的価値観とするアメリカ保守派は、そもそも格差問題への考え方が違います。自由を保証すれば平等は脅かされるので、そのために両者のバランスを取るのが公正という考え方です。あくまで自由競争を是とする社会においての公正さは、公正な機会を与えることであって平等を優先するものではありません。

 同時に人間の善良な精神が期待され、富裕層は恵まれない困窮者に寄付する文化がアメリカには完全に定着しています。つまり、高額所得者は貧困者への道義的責任を負うという道徳が社会的に機能しているということです。

 左派は制度やシステムから格差を解消しようとする傾向があり、保守派は人間の良心や道義の働きを重視する傾向があります。無論、欧米社会はキリスト教の教えにある性悪説なので、人間に備わった良心だけをあてにはしていません。歴史を見れば権力と金を握った人間の道徳的堕落の例は非常に多いのも事実です。

 とはいえ、格差とか分断、分配という言葉には、1960年代、70年代の左翼運動の匂いが漂っています。それは産業化社会がもたらした富める者への貧しい者の嫉妬と憎しみです。共産主義は富める者、権力を握る者を「悪」として彼らを絶滅させるための階級闘争を繰り返し、ソ連帝国や中華人民共和国を作りました。

 日本でも60年安保、70年安保で左翼運動が激しい時期には権力者と企業など富める資本家を打倒するのが運動目的となり、そこでも格差が中心的テーマでした。ところが共産主義運動の資本家の絶滅理論の階級闘争は多くの陰惨な殺人事件をもたらし、人々の心は左翼運動から離れていきました。

 そして再び、格差と分断、共産主義が主張した再分配という懐かしい言葉がメディアを覆っています。三つ子の魂百までということなのでしょうか。半世紀を経て打倒資本主義の左翼思想が新資本主義のベールを被って復活したようです。半世紀の間に彼らの正体は分からなくなっているように見えます。

 保守派の中にも「格差は良くない」「GAFAなどの利益集中は異常で許してはならない」などという意見も聞かれます。今のところ、欧米の保守派の論客は、格差=悪と道徳問題を結び付けるのは間違いで、社会的道義の問題としてあるのは貧困問題にあるというのが主流です。

 私が過去にゴーストライターをした保守の論客だった故西部邁氏は冷戦時代のソ連について「僕は人間の多様な欲望を国家が全て管理するというのは不可能だと思う」といっていました。彼もまた東大の学生時代には左翼学生運動に身を投じていた人間で、保守への転向組でした。

 卵が先か鶏が先かというのが1970年代に議論でした。制度を改めれば社会が変わるという左派の理論と、制度を作るのは人間なので人間が変わらないと本質は変わらないという保守の考えは、今でも古くて新しい議論です。

 格差と分断を道徳的悪という前提で論じようとするリベラル派が、ダイバーシティ(多様性)を主張するのも社会主義の1つの価値観で統一しようとする考えと矛盾しています。さらに道徳というより犯罪者に仕立て上げ、敵として憎悪の対象のレッテルを貼ったり、キャンセリングカルチャーで徹底排除するのもリベラル派が得意とするところです。

 基本的に伝統的価値や既存の制度を否定するリベラル派は、それらが生み出した不幸を敵視しているわけですが、たとえばLGBTへの差別の根拠に宗教教義があります。ところが近年、医学の発達でごく1部に性の傾向が生まれつき異なった人がいることは認められ、教義として同性愛を否定してきたローマ・カトリック教会も同性愛者に寄り添う重要性を認めています。

 キリスト教原理主義といわれた聖書に忠実なクェーカー教徒も信者として同性者を受け入れています。その人の選択の自由や人権を重視することが宗教界には広がっています。ところがLGBT擁護派のリベラル派の中には人権問題でベールを被りながら、伝統的善悪の価値観を破壊し、何でもありの世界をめざし、宗教や道徳そのものを絶滅させようという動きもあります。

 結論からいえば、嫉妬や憎悪を正当化し、気に入らないものを抹殺しようという恐ろしい精神が1部リベラル派の中に渦巻いていることです。歴史から見て負の感情を正当化して人々が幸福になった試しはありません。人間なら誰もが持つ負の感情ですが、それをコントロールしなければ対立は消えないでしょう。

 実際、共産主義と資本主義を融合させたという中国型社会主義の中国で、イスラム教徒である新疆ウイグルの人々を強制収容所に入れ、虚勢や不妊治療をし、思想改造する行為は、異なった考えを持つ人々を絶滅させる行為です。北朝鮮の金正恩が叔父を犬に食べさせ、ロシアで反政府勢力主導者をプーチンが毒殺する行為を見て、これが21世紀かと愕然とせざるを得ません。

 ビジネスの世界にも環境問題やエネルギー問題、SDGsやESGなどのベールで覆った危険な憎悪の感情のイデオロギーが巧妙に忍び寄っています。リベラリズムには様々な意味がありますが、その正体を見破るためには、敵視しているものは何か、それを破壊、絶滅させようとしているかどうか、負の感情は潜んでいないかを見る必要があります。

 もう一つの視点は、1970年代、左翼運動が限界に達した時に指摘されていた「破壊」の「創造」という視点です。今の時代は共生しながら新しい価値を創造する時代で、それ自体は普遍的です。創造性、つまり新しいものを生み出すビジョンが歩かないかが重要です。

 21世紀の新たな世界の枠組み作りは、単純な保守とリベラルの対立軸ではなく、人間が悲劇を産まず、平和と幸福を得るための共通目標の中身を明確化し共有することでしょう。同時に人間が変わらなければ世界は変わらないという視点を持つことだと思います。


 
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Author:artworks21
安部雅延(あべ まさのぶ)
フリーの国際ジャーナリストで、フランスのビジネススクールで長年教鞭を取り、日産自動車始め多数の大手企業でグローバル人材育成を担当した安部雅延が、国際情勢やグローバルビジネスの最前線を紹介し、豊富な経験を踏まえた独自の視点で世界を読み解くグローバルトーク。

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