ゴッホの数奇な最晩年の謎 なぜこの世を去る前2カ月間で100枚もの絵を描いたのか



L'eglise_d'Auvers-sur-Oise
  
「オーヴェル=シュル=オワーズの教会」フィンセント・ファン・ゴッホ作 1890年 ⒸMusee d’Orsay

 19世紀、画家が職人から芸術家に転換する先駆的存在の一人がオランダの画家ゴッホでした。しかし、依頼もなく売る当てもないのに画家自身の純粋な絵画への情熱だけで絵を描き続け、37歳の若さで自ら人生を閉じたゴッホが世界的巨匠の仲間入りしたことは謎に包まれています。

 西洋の芸術家は、19世紀半ばまで王侯貴族や裕福な商人、教会の依頼で制作を行い、その代価を得て生計を立てる職人的存在でした。依頼主である上流階級の人々や組織は、秀でた画家を抱えることを競い合い、そのおかげで芸術の質を高めてきた。文化は経済的繁栄に比例した所以でした。

 そこに今度は、自分の描きたいテーマを独自の表現方法で制作し、当時の影響力のある美術評論家などの嘲笑を浴びながらも自己主張し、その新しさに注目したパトロンや画商の支えで生計を立てる芸術家が登場したのは19世紀後半でした。

 この時代に活躍した芸術家の中には、純粋な芸術の創造性を追求するがあまり、市場での需要や商業的成功との両立ができない者も出てきました。ゴッホはその代表選手でした。普通なら諦めて職業替えしたはずですが、彼は画商で弟のテオに支えられ、生涯、画家を続けることができました。

 生前、1枚しか絵が売れなかった(諸説があるが)ゴッホは、死後100年を経て作品「ひまわり」に日本で58億円の落札価格がつくなどの巨匠の仲間入りをしたわけですが、その1つの理由は作品に込められた彼の暑い燃えるような絵心でした。

 生涯無名だったゴッホは市場ニーズに応じて作品を描く画家ではなく、パトロンの縛りもないことが、彼の個性を100%発揮する作品を生んだことが、西洋美術の大転換の時代に求められていたものだったことは確かでしょう。

 ゴッホの絵が売れなかった理由の一つに私見ですが、当時のフランドルの画家に対するフランス人のイメージには、非常に起用で考えられないくらい微細なところまで描き込む職人としてのイメージがあったことで、荒々しい絵のゴッホに違和感が持たれたこともあったと考えています。

 ゴッホは南仏アルルで同居していたゴーギャンと揉め、耳の1部を切り落とし、1889年に南仏サン=レミの精神病療養所に入所しました。翌年の5月、結婚して子供が生まれたばかりのパリの弟の家を経て都会の喧騒を避け、パリ北西郊外オーヴェル=シュル=オワーズに住むガシェ医師を頼った居場所が最後の居場所になりました。

 私も何度か尋ねたオーヴェル=シュル=オワーズは、今も自然に囲まれ、その姿を残しています。ゴッホは自殺するまでの2カ月間、74点の絵画と33点の素描を制作しました。

 オルセー美術館では、ゴッホが死の前に制作した「ポール・ガシェ医師」「オーヴェル=シュル=オワーズの教会」を含む、村の風景画、静物画、周囲の田園風景など絵画40点と素描約20点を展示した「オーヴェル=シュル=オワーズのヴァン・ゴッグ、最後の日々」展(2024年2月4日まで)が開催中です。

 最晩年のゴッホが、自殺する前の10週間になぜ100点もの絵を描いたのか。作品は売れませんでしたが、実は当時のピサロなど印象派の画家たちに評価されていたことは興味深いものです。

 同展では同時に兄を支援し続けたゴッホの弟テオの死後、多言語を操る妻ヨハンナ・ボンガー・ファン・ゴッホの役割の重要さを描いたドキュメンタリー映画も見ることができます。

 ヨハンナは夫、テオの死後、相続した全てのゴッホ作品と兄弟で交わした往復書簡をもとに、生涯をゴッホを美術界に認知させることに費やしたことが知られています。その情熱は、まるで神がゴッホのためにテオ夫婦や何人かの理解者を準備したというしかないほど、情熱に満ちたものでした。

 今でも残っている「オーヴェル=シュル=オワーズの教会」には、大きな帽子をかぶるオランダ人と思える女性が描かれています。生まれ故郷オランダの風景が重なっていたのかもしれません。

 いつも荒々しい筆跡の彼の風景画はオランダと似た日射角度に照らされた小麦畑の鮮やかな黄色と青く澄んだ空に包まれ、郷愁とともに彼の宇宙観が漂っています。他の進取の画家と異なり、画家の中で再構成されたものは知性よりも霊性によるもので絵を描く本質が何かを示してくれていると思います。

 いくら筆が早いといっても10週間に100点の絵画と素描作品を制作した背景に何があったのか、1枚も売れないことが分かっていても描くことに病的なまでに集中した心の底を、どう理解すべきなのか、その謎を掘り下げる展覧会です。



関連記事

プロフィール

artworks21

Author:artworks21
安部雅延(あべ まさのぶ)
フリーの国際ジャーナリストで、フランスのビジネススクールで長年教鞭を取り、日産自動車始め多数の大手企業でグローバル人材育成を担当した安部雅延が、国際情勢やグローバルビジネスの最前線を紹介し、豊富な経験を踏まえた独自の視点で世界を読み解くグローバルトーク。

カレンダー

04 | 2024/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

検索フォーム

QRコード

QR

コメント

非公開コメント